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初段審査:蓮の花 泥より出でて泥に染まらず [素心]

蓮の花

蓮は、汚れた泥を栄養に、育つ。

蓮の花は、汚れた泥に染まらない。清浄な色の花びらを開く。

ここでいう泥とは、人間の煩悩・迷い・失敗のことです。

何を言いたいかって?

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タグ: 初段審査
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平常心と狂気 [素心]

武道の稽古とは 

武道の稽古は、平穏な生活に、暴力・狂気の沙汰を想定して、どのように平常心を保つことできるか。そうするための体使いと技術の養成が、武道の稽古です。体・技・心と、養ってまいります。

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タグ:平常心
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無功徳 [素心]

人間は、本能・欲望を源泉として、生命を維持する。それだけであれば、動物的です。

本能・欲望を包み隠して、社会に役立てて生きるところに、人間らしさあります。

やがて老いて、滅してゆきます。ただそれだけです。動物的に生きようが、功利的打算的行為をしようが、人間らしく生きようが、平等に滅してゆきます。

ああ「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり」だな。そこに功徳も無功徳も、あったもんじゃない。

そこへ誠を尽くして生きるのが、本来の宗教であり、宗教的に生きることです。それを武芸で目指すなら、これが本来の武道であり、武道家として生きることなのではないかと思います。


歳月人を待たず [素心]

歳月人を待たず 

早いもので、もう3月です。月日の流れのはやいことを、「光陰矢の如し」といいます。他にどんな言葉を、ご存知ですか?

そう質問すると、5年生の女子が答えてくれました。

歳月人を待たず です」と。

元の意味は

陶潜の『雑詩』に

(http://tao.hix05.com/zatshushi/zatsu01.saigetu.html より引用開始)

  人生無根蔕  人生 根蔕なく
  飄如陌上塵  飄として陌上の塵の如し
  分散逐風轉  分散し風を逐って轉じ
  此已非常身  此れ已に常の身に非ず
  落地爲兄弟  地に落ちては兄弟と爲る
  何必骨肉親  何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
  得歡當作樂  歡を得なば當に樂しみを作すべし
  斗酒聚比鄰  斗酒 比鄰を聚めよ
  盛年不重來  盛年 重ねては來たらず
  一日難再晨  一日 再びは晨なりがたし
  及時當勉勵  時に及んで當に勉勵すべし
  歳月不待人  歳月 人を待たず

人間の生には(植物のような)しっかりとした拠り所がなく、ひらひらと舞い散るさまは路上の塵のようだ、ばらばらになって風に吹かれて飛び散り、もとの通りに居続けることはない

この世に生まれたからにはみな兄弟だ、骨肉の間柄だけではない、歓楽の機会があればすべからく楽しもう、酒があれば近所の連中を集めようではないか、

盛りの年は二度とはない、今日という日は再びは来ない、時に及んでまさに行楽を楽しもう、歳月は人を待ってはくれないのだ


人生のはかなさを説き、時に及んで行楽すべしとうたうこの詩は、陶淵明の詩の中でも有名なものだ、特に最後の四句は人口に膾炙してきた、だが、意味を取り違え、歳月は人を待たないから、寸刻を惜しんで勉強すべしというふうに、解釈されることが多かった。人生のはかなさを説き、時に及んで行楽すべしとうたうこの詩は、陶淵明の詩の中でも有名なものだ、特に最後の四句は人口に膾炙してきた、だが、意味を取り違え、歳月は人を待たないから、寸刻を惜しんで勉強すべしというふうに、解釈されることが多かった。

それは勉励を、普通に言う勉強と受け止めたことの結果だろうが、ここでいう勉励とは行楽に精を出すことをいうのである、
(引用終り)

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2015 Japanese Emperor New Year Greetings In Tokyo Royal Residence 天皇陛下 一般参賀 [素心]

2015年 一般参賀


この動画は、台湾からきている道場生 張 宏達さんが、1月2日に皇居で撮影してくれました。

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謹賀新年 [素心]

謹賀新年 

A Happy New Year!
新年明けましておめでとうございます。

天皇陛下・皇后陛下、そして御皇室の皆様の弥栄、ならびに国民の皆様のご幸福をお祈り申し上げます。


本年もよろしくお願いいたします。


楽心館は、祖国日本未来のために、 諸国のために、努力することをお誓いします。

とても元気が出るので、椎名林檎さんの曲を聴きました。

椎名林檎 - 『NIPPON』


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靖国神社参拝 YASUKUNI SHRINE [素心]


靖国神社を参拝させていただきました。


 今年お世話になりましたお札をお返しし、来年お世話になるお札をお預かりしました。


 先人の犠牲に哀悼を、日本と世界の平和を祈念させていただきました。

 

 

 

 

 

 

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未来は、どこにあるの? [素心]


続きを読む 明るい未来が来るよ。


タグ:未来

清濁併せ呑む 慰安婦と韓国 [素心]


続きを読む 清濁併せ呑む


朱夏を生きる [素心]

暑中お見舞い申し上げます。

台風過ぎて、本格の暑さ到来しました。お子様方は、今週末より夏休みです。 道場では、夏について話しました。

 

子供たちへの話

季節に春夏秋冬あるように、人の一生にも春夏秋冬あること、知っていますか?

人生の春夏秋冬を、簡単に言い換えれば、「準備期」「成長期」「成熟期」「衰退期」。

「皆は、自分がどこにいるか?春夏秋冬で答えてください」と質問して、一人ひとり答えていただきました。

「春」と答えるのは半数、残りはご自分の好きな季節を言っている様子です。一人が、どうしても「冬」と答え続けるのは、面白かったです。

私:「もう人生、終りですか?」

お子様:「はい!」

そんな感じです。

「皆さんは今、春を生きていると思いますよ。ご両親様のお世話になっている間は、自立して生きる夏を迎えるための準備期間です。

春は、第一に健康。第二に素直な心で多くの知識を吸収。そして自分の特性を発見して、生涯貫く何かを築くための準備してください。

夏休みは、普段できない体験ができそうで楽しみですね。ご親戚と接したり、遠くへ行ったり。勉強をしっかりやってね」。

親子参加のお父さんや、見学のお母さんに聞いてみると、面白い答えでした。

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心技体とは [素心]

武道で気剣体とは、技のかかる理想的境地を説明する時に使います。

力より技は高く、技より術は高く。術レベル(スキル・熟練能力)の高さで形や動きを説明する時、「気剣体一致」と表現することがあります。

心技体とは、稽古方法を考えるときに使います。「運動の要素を三つに分けて、心技体のバランスの良さ」という場合もあります。今日はこの三つの関係を、考えます。

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タグ:心技体
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見ざる聞かざる言わざる、の大切さ [素心]

一般に「見ざる聞かざる言わざる」とは、とかく人間は自分にとって都合の悪いことや相手の欠点を、見たり聞いたり言ったりしがちだが、それらはしないほうがよいという戒め、とされています。

 

見ざる言わざる聞かざる

 

 

それに対して日光東照宮の「見猿・言わ猿・聞か猿」(写真では左から順番に)では、目・口・耳をふさぐ猿は幼年期の猿で、子供のころは悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないで、素直なままに育ちなさい。という教育論の意味が込められてる、とされます。

前者は消極的解釈で、後者は積極的解釈とも取れます。芸道を歩むうえでは、後者の意味で考えたいです。

今日、「剣道・空手・少林寺」と経験した方の入門ありました。骨太で、腕力のある方です。当身など基本動作を確認する稽古で、この方の抱える問題は明確になりました。

中国武術でいう「蓄勁」レベルでしょうか。欠点として力の蓄えと準備が、見て取れる。ボクシングでいうテレホンパンチです。

数年後に成長を確認できるかどうかは、彼自身が一時期、過去の経験に「見猿・言わ猿・聞か猿」、素直になり切れるかどうかにかかってきます。

別の例で、他流派の大学合気道部出身の方が、訪ねてくることがあります。もちろん有段者ですが、私の指摘は「捻ってる、加速だね、持ち上げちゃうね」そのどれかにすぎません。不親切なつもりはないのですが、ほかに言いようがないのです。その時はなるほど納得の表情でも、心の中では反感を持つのでしょう、縁の繋がることは、ほとんどありません。

それでもMさんは違いました。「今までしてきたことは無駄ではないですから、黒帯締めてきていいですよ」。それでもMさんは、「最初からやり直したいです」と、白帯で通い続けました。平成22年2月入門です。

私からの繰り返しの指摘も、自省されて、Mさんはこの度、楽心館の初段となりました。初学者が素直になることは難しい、さらに難しいのは経験者が素直になることです。Mさんは立派でした。

たとえある時期素直に精進しても、忘れたように傲慢さが出る、それが人間です。そんな例もたくさん見てきました。悲しい思い出です。

では、そういう自分は何様なのか。今日も考えます。


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惻隠(そくいん)の情(じょう)思いやり [素心]

惻隠(そくいん)の情(じょう)

簡単にいえば、思い遣り・同情の思いです。指導者であればお稽古人に対して、勝者であれば敗者に対して、惻隠の情なければなりません。

上位者が、慢心してはならない

指導者については「師とならば 弟子を立てるを 旨とせよ 己が強さを 示すべからず」の古歌が、説明しています。

勝・上手については世阿弥の名言「上手は下手の手本なり。下手は上手の手本なり」が、説明します。

師に対する稽古人。勝者に対する敗者。相対的序列があるとしても、それぞれに長所・短所あります。

「師や勝者」は、己の短所を矯め、長所を伸ばした地位にあります。しかし完全に短所を消しきることなどできませんし、長所に慢心しがちなものです。

「稽古人や敗者」は、己の短所に気づかず、せっかく持っている長所を伸ばしきれない欠点が明確です。

そこへ世阿弥は「上手には下手が手本になるし、逆もまた真なり」と、説いているのだと思います。

慢心を戒める心がけは、死生観から

慢心を嫌う、言い換えれば、完全を避ける感覚です。そしてこれは、日本人の死生観に通じます。今でも死者に着物は左前に、帯は縦結び、枕屏風は上下逆に。逆さ世界、不完全が存在します。

そしてこれは、縄文時代以来の風習です。哲学者 梅原 猛 先生の著述によると、ー土偶の多くのお腹は大きく、胎児を宿したまま亡くなった妊婦の像だと考えられる。様々の土偶は、死者の復活を願って作られていると考えられる。

発見された土偶は例外なく一部が欠けているが、それも「この世」で不完全なものは「あの世」で完全なものになると考えられたからだ。ー

続きを読む 科学思想の時代に


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出光佐三の言葉 日本人に返れ [素心]

    年頭にあたり 「日本人に返れ」の声が聞こえる
    2014.1.1 02:25 (産経正論
     □文芸批評家 都留文科大学教授・新保祐司

     第2次安倍晋三政権の「日本を取り戻す」というスローガンは、実現に向けて着々と政策が打ち出されているが、年頭にあたり、今年こそ国民が日本人の精神の芯を「取り戻す」ための活動に取り組む時代が始まることを強く願う。

     昨年、執り行われた出雲大社の大遷宮や伊勢神宮の式年遷宮は、日本人に心の拠(よ)り所の大切さを改めて感じさせたが、今後グローバリズムが進展する中で、日本とは何かという問題が真剣に問われることになるからである。

    精神の芯を大方失った日本人

     

     出光興産の創業者、出光佐三が昨今話題になっている。40歳過ぎまでこの会社で働いた私としては感慨深いが、出光佐三に『日本人にかえれ』と題した著作がある。この40年ほど前の呼びかけは、今日一層の重みを持って日本人の心に響いてくるのではないか。

     今や、日本人は精神の芯を大方(おおかた)失ってしまったからである。文明開化以降150年ほど経過して、特に「戦後民主主義」の下で日本人であることからあまりにも離れてしまった現在の日本人は、改めて「日本人にかえ」らなければならなくなったのである。

     出光佐三の言葉に「僕は青年に呼びかける。政治家をあてにするな、教育に迷わされるな、そして祖先の伝統の血のささやきを聞き、自らを頼って言論界を引きずれ、この覚悟をもって自ら鍛錬し、修養せよ、そして、その目標を明治時代の日本人たることに置け」という呼びかけがあるが、この「祖先の血のささやきを聞」くことによって日本人は「日本人にかえ」ることができるのであり、戦後の風習や世上を覆う通念から「脱却」しなければならない。

     明治の文人、斎藤緑雨は「音楽は即(すなわ)ち国のささやき也(なり)」といったが、日本人が精神の芯を「取り戻す」一例を音楽からとってみよう。昨年12月も、年末恒例となったベートーヴェンの第9の演奏会が全国各地で開催されたが、本国ドイツでも見られないわが日本国におけるこの異様な光景は、もうそろそろ止めにしたらどうか。

    歳末の「第9騒ぎ」卒業せよ

     

     この「植民地」的慣習がいつ頃から始まったのかはよく知らないが、恐らくバブル時代にはずみがついたのであろう。一時よりは回数が減ったとはいえ、まだ100回くらいは開かれるようである。この他に「市民第9演奏会」とか「みんなで歌おう第9」といったものまで含めれば、数はもっと増えるであろう。第9のカラオケのCDまで売っている国である。

     私は、この現象を一概に軽蔑すべきものとは思っていない。今日の日本のように、世俗化が行くところまで進み、「聖なるもの」が消失してしまった社会に生きていれば、やはりどうしても、特に歳末という或(あ)る雰囲気を持った時期には、何か「聖なるもの」の切れ端でも欲しくなるのが人間の本性だからである。

     しかし、以前テレビで、ドイツの或る指揮者が、日本で年末に第9が夥(おびただ)しく演奏されるという事実を聞いて変な顔をしたのを見たことがある。彼はドイツでもそんなことはないし、そもそも第9という音楽は、歳末の行事のように演奏されるべき性格のものではないという意味のことを言った。

     第9は、実に畏るべき音楽であり、「みんなで歌おう」などといった安易な扱いを拒絶するということである。第9は、第4楽章の「合唱」によって特に有名であるが、この歌詞の元になっているシラーの「歓喜に寄す」にしたところで、生易しい思想ではない。そもそも、この「歓喜」は普通の意味の「喜び」ではないのである。

    信時潔の「海道東征」演奏を

     

     このような上滑りな受容であっては、年末に何回、第9が演奏されようと、日本人の精神の深まりに何の作用ももたらすものではない。こういう漠然とした「文化主義」、それも文明開化以来の西洋かぶれ的な現象から、日本人は、もう脱皮するときに来ている。

     そろそろ第9ではなくて、信時潔の交声曲「海道東征」が日本全国で演奏されるべき時代になってきたのではないか。信時潔は、いうまでもなく「海ゆかば」の作曲家である。「海道東征」は、神武東征を題材にして北原白秋が歌詞を作り、信時が作曲した大作である。昭和15年に皇紀2600年奉祝行事のために書かれた。

     このことが、この傑作を戦後の長きにわたって封印することとなり、戦後58年の2003年に1回演奏されただけのようである。一昨年は『古事記』編纂(へんさん)1300年ということで、古代の歴史に思いを馳(は)せる機縁になったことは喜ばしいことであるが、そういう意味でもこの神武天皇の東征を題材にした音楽は、日本人に、歴史を回想することにより「占領下」の心性を超克して「日本人にかえ」る機会を与えるであろう。

     今や「日本人にかえれ」という力強い呼び声が聞こえるではないか。今年は、それに応え光栄ある帰還の歩みを開始する年である。(しんぽ ゆうじ)



謹賀新年 千葉神社へ初詣 「今すべきこと」って、なんですか? [素心]

皇紀2674年。新春を寿ぎ、みなさまのご健康とご多幸、そして皇国の発展をお祈り申し上げます。

本年も宜しくお願いいたします。

千葉神社へ御参りしました。私はただ素心になって、参拝。息子はきっと、大学合格祈願でしょう。妻は家族親族の健康でしょうか?

こうして家族そろってお参りさせていただけることが、何よりありがたく思いました。

 

皇紀2674年元旦 千葉神社

続きを読む 今年の目標は?


自立:何が幸福で、楽しいのでしょうか? [素心]


  • 人はどんな時に、幸福や楽しさを、感じるでしょうか?

    人との関わりの中で、友人、家族。
    健康に生活できる何気ない日々の中で。
    自己実現・目標達成の中で。
    子供から大人まで、様々でしょう。

    しかし、心・社会的成長とともに、「自己実現・目標達成の中で」感じる幸福、楽しさの比重が重くなるべき時期があると思います。中学校に進学した、高等学校に進学した、人生の節目ごとに、持つべき目標と実体験、そして得る目標達成感から得られる幸福・楽しさ。

    親が子に接する時に、待つ放すを基本として、達成する経験がすくなければ、幼稚な、空想的なと、注意されるべきではないかと思います。

    最初は遊びの中での体験、やや発展してスポーツや稽古事の中で、目的意識を持って学ぶ体験。学業での達成感や、受験での競争意識など。

    やがて何のために勉強するのか?何のために受験の競争に明け暮れなければならないのか?そもそも何のために生きるのか?苦悩することも、避けられない通過儀礼です。

    凧を空に上げるためには、「風を待つ・糸を放す」作業があります。我が子を社会に自立させるためには、「身体と心の成長の微妙なバランスを見ながら」これは待つ行いです。そして「社会的成長とともに自立を促す」これは放す行いです。この二つが必要です。

    自ら目標設定して、歩みだせるお子様もあるでしょう。尻を叩かれ、巣から出される思いをさせないと、歩み出せないお子様もあるでしょう。どうか孤独に耐えて、打ち勝ってくださいと祈るばかりです。

    そんな苦しい時期に、お子様の励みとなるのは、「自分は充分に愛情を注いでいただいて、本当にありがたかった。楽しかったなぁ。」との想いではないでしょうか。

    自分は父親として、それだけのことが出来たのか(いや、できなかったなぁ?)。指導者として、御辛い家庭事情のお子様を預かりしますが、少しでも支えることが出来ていただろうか?

    忸怩たる想いがいたします。

タグ:自立
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青春真っ只中で、素直と一点素心の差 [素心]

私は猪突猛進であったり、時には張り詰めた弦であり。素直さとは、正反対の面が強いです。

それはアクセルであり、燃料でもあり。力の源泉を、人は持っているべきです。多少人様に迷惑かもしれませんが、癖というもので悪いほどではありません。

素直さは大切ですが、これを何から何まで癖を取らなければならないとすると、角を矯めて牛を殺すが如しです。「頑張る」は「我を張る」に通じるから、良くない?この理屈の誤りと同じです。力の源泉としての我はなければなりません。

武道は心身の我を消す修錬ですが、中心は鍛えます。中心としての我は、大切なのです。

しかしそれでも、一点の素心は、なければなりません。省みたり、ブレーキを掛けてくれる心の源泉、それが一点素心だと思います。時には明鏡止水。時には虚心坦懐な一面が、なければなりません。

 

「鹿を追う者、山を見ず」とも言います。鹿を捕えようとしている者は、獲物にばかり気を取られて山全体のことが目に入らなくなってしまう。ふと気づいた時には、山深く入り込んで、自分が何処に居るのやら、迷ってしまいます。

この猟師が山に迷った状態とは、本当は、何をどうやって自己実現したら分からない状態を喩えたものです。もちろん私も、そうした時代がありました。それを青春というのだと思います。

「この永遠に一度きりの人生に、何かをしなければならない。その時期の芽生え」その意味での「春」。「しかし、何をどうしたら良いのか分からない」その意味での「青」。それが青春です。

猟師であれば、勇猛に鹿を必死に追うのは当然ですが、時に山全体を見て自分の状況判断できる心を持たねばなりません。青春を生きる貴方であれば、時に人生と世界全体を見て、自分の立ち居地を確認しなければなりません。これも一点素心と、説明できます。

 

ではどうしたら、一点素心を得られるのでしょう?

残念ですが、その答えはありません。貴方が自分で、探してください。それも青春の内側です。元来、道と名の付くものが、そのヒントであるはずなのですが。


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鬼手仏心 相手を救うために、内心は慈悲にあふれているのだが、外見は手荒な手段をとることにいう。 [素心]



タグ:鬼手仏心

前橋育英野球 「凡事徹底」をスローガンに掲げ、大きな決まりごとは3つ。 [素心]



2013 夏 高校野球 前橋育英 初優勝の瞬間!



先祖の霊を送る [素心]

今朝のニュースで、京都の大文字焼きの映像を見ました。

五山の送り火は、お盆に訪れた先祖の霊を送る灯火として、8月16日に灯されます。

8月15日は月遅れの盆、そして終戦記念日でもありました。

 

毎年おこなわれている「全国戦没者追悼式」に、天皇・皇后両陛下がご出席され、お言葉を述べられました。

「終戦以来、すでに68年、国民のたゆみない努力により、今日のわが国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶ時、感慨は今なお尽きることがありません」

陛下の心からの叫びではなかったでしょうか。さらに陛下はこう続けられました。

「歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」

国民の多くは感慨を深くしたことと思います。

 

両親の郷里、静岡でのお盆の松明を、思い出しました。

学徒出陣で戦死された「明(あきら)」オジサンの事も、思い出しました。そして仏壇にお供えをする祖父母の姿・優しい声。 

 

昨日、先祖の霊を送る。今日、我々は日常へ帰る。

先祖の艱難辛苦・受けた恩を身に受け留めて、明日からの稽古、しっかり勤めさせていただきたいと思います。


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